かあびいblog

読書と寝ることが好きです。

【恋愛小説】『ある男』平野啓一郎

愛したはずの夫は、

まったくの別人であった。  

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20万部突破のロングセラー「マチネの終わりに」から2年 。

平野啓一郎の新たなる代表作!

 

”愛にとって過去とは?”

その問いにサラッと答える美鈴の言葉が印象的だった。

戸籍に関することや在日、人種差別問題。

関東大震災後、日本で悲惨な事件が起きていた事実を知って胸が痛くなった。この本を通して色々な問題に触れながら考えさせられる一冊٩( ᐛ )و

 

 

【内容紹介】

 弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。

宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。

長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。

ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。

悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。
里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。

 

人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。
「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。
人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品。

 

 

【著者紹介】

1975年、愛知県生まれ。北九州市出身。

1999年、京都大学法学部在中に投稿した『日蝕』により芥川賞受賞。

数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。

2008年からは、三島由紀夫賞選考委員を務める。

主な著書は、小説では『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊 』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』、エッセイ・対談集に『考える葦』『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力 」の行方 変わりゆく世界と分人主義』などがある。

2016年刊行の長編小説『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)は20万部を超えるロングセラーとなった。

【小説】認知症の母と愛と記憶の物語『百花』川村元気

「あなたは誰?」

息子を忘れていく母と、母との思い出を蘇らせていく息子。二人には忘れることのできない”事件”があった。-ー。現代に新たな光を投げかける、愛と記憶の物語。

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【内容紹介】

晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく、始まりの日だった。

認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばす―。

現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。

 

 

去年の誕生日に妹がプレゼントしてくれたのがきっかけで読んだ本٩( ᐛ )و<

 

介護福祉士として働いているので認知症関連の小説や本は結構読んでいるんだけど、この『百花』は認知症をよく知らない方にこそ是非読んでほしいと思った。

もちろんわたしと同じように、介護職の方や認知症の家族の方にもオススメできる一冊。

 

 

【著者紹介】

川村/元気1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。

2010年、米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出され、翌11年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。

12年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表。

14年、絵本『ムーム』を発表。

Robert Kondo & Dice Tsutsumi監督によりアニメ映画化され、全世界32の映画祭にて受賞。

18年、佐藤雅彦らと製作した初監督作品「どちらを」が第71回カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門に選出される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

ニキビ撲滅【アクネスラボ】を使ったら翌朝ニキビが消えていた💊

 ついに、ニキビ撲滅可能の兆しが見え始めた!

 

最近本格的に肌改善を始めていたところに、ニキビをすぐに良くしてくれる最強クリームに出会えたのです٩( ᐛ )و< それはこちらです↓↓

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 『アクネスラボ 薬用 ニキビ専用 スポッツクリーム』

 価格1,518円(7g)

 

 

今回アクネスラボの商品自体が初の試みだったので、

「アクネスラボ」という商品がどのようなものなのかを調べました☆

【アクネスラボって?】

アクネスラボは皮膚専門家・相澤浩氏による長年のニキビ研究から生まれたブランドです。殺菌による治療が中心だったニキビに対して、原因のもとを探り、保湿や女性ホルモンの重要性にいち早く着目したのも相澤氏。その中で培われた独自のスキンケア法がアクネスラボの原点です。

 

私はもともとニキビができやすい体質なのですが、一時期ひどく悪化してしまって助けを求めるかのように皮膚科に通っていた時期がありました。その時の皮膚科医から市販でも買える良い商品があるということで、今回紹介しているアクネスラボのニキビ専用スポッツクリームをオススメしてくれたのです。

すぐに買い求めて使ったのですが、『アクネスラボ 薬用 ニキビ専用 スポッツクリーム』は個人差はあると思いますがニキビが出来やすく治りにくい私にも効果がありました。

【商品説明】

あらゆるニキビを根本からケアする部分用クリーム。気になる部分に塗布し、付属の集中ケア*シートをクリームの上から貼ることで、寝ている間に効果的にアプローチします。

医薬部外品
●効能・効果:ニキビ予防、肌荒れ予防、肌の清浄
●お肌に優しい植物由来成分(天然ビタミンE、ヨクイニンエキス、ユキノシタエキス)配合
●合成香料・着色料・シリコーンパラベン不使用
*ニキビを予防すること
※「ニキビケア」とはニキビを予防することです
※パッケージデザイン等は予告なく変更されることがあります

使い方はとても簡単です☆

ニキビにクリームを塗って、専用のパッチを貼って寝るだけ☆

٩( ᐛ )و<使い方の詳細はこちら↓

【クリームご使用方法】
洗顔後、化粧水、美容液など普段の夜のお手入れの最後にお使いください。
適量を指先にとり、気になる箇所にのせてニキビを包み密閉するように塗布してください。
顔全体にのばす使い方は避けてください。
(お肌の状態により、まれに乾燥を引き起こす場合があります)

【集中ケア*シートご使用方法】
クリームを塗布した上に集中ケア*シートを貼ります。そのまま就寝し、朝になったらはがします。
※貼った直後は集中ケア*シートがはがれやすいですが、時間が経てば固定されます。

*集中ケアとはニキビを予防することです

 

翌朝には炎症が起きていたニキビも、赤みが引いて目立たなくなっていました。

 小さいニキビよりも、赤みのある大きいニキビに効果があると思います。

 このアクネスラボを使い始めてから、周りから「肌綺麗になったね」と言ってくださることが増えました。素直に嬉しい…。

また、原産国が日本であって無添加・低刺激というところも安心要素のひとつです。

赤ちゃんでも安心だと書かれていました٩( ᐛ )و<すばらしい!

 

もっと詳しく知りたい方は公式サイトで調べてみてください☆

www.acnes-s.jp

  

ニキビや吹き出物に悩んでいる方たちって本当に多いですよね…。

特に今はマスクをしなければならないから余計に肌トラブルの原因になるし、私の場合は生理前になると必ず肌荒れが酷くなってニキビが増えてしまいます。

生活習慣を見直したり、できるだけストレスを溜めないように心がけているんだけれど、それでもニキビってできるときはできるんですよね٩( ᐛ )و<いい加減ウンザリ …

アクネスラボの中には、そんな女性ホルモンなどによる大人ニキビの予防に対応してくれる商品もあるみたいです!

個人的に、これからもっと試してみようと思っています٩( ᐛ )و<予防が大事!

 

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 Amazonでは安く買えますが、薬局やドラックストアでも購入できますよ♡

【恋愛小説】大人の恋の物語『マチネの終わりに』平野啓一郎

結婚した相手は、人生最愛の人ですか?

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【内容紹介】

天才ギタリストの蒔野(38)と通信社記者の洋子(40)。
深く愛し合いながら一緒になることが許されない二人が、再び巡り逢う日はやってくるのか――。
出会った瞬間から強く惹かれ合った蒔野と洋子。しかし、洋子には婚約者がいた。スランプに陥りもがく蒔野。人知れず体の不調に苦しむ洋子。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまうが……。

結婚した相手は、人生最愛の人ですか?

ただ愛する人と一緒にいたかった。

なぜ別れなければならなかったのか。

恋の仕方を忘れた大人に贈る恋愛小説。

 

 

初めてこの小説を読んだときは24歳だった。その頃の読後の感想としては、 いつか相手のことを自分のこと以上に想える恋愛をしたい と、率直に大人の恋に対する憧れの気持ちを持った。自分よりも相手を想う気持ちやお互いを尊敬しあえる関係、成熟した2人の大人の恋愛に、いつかわたしも大人の恋愛ができるように、まずは自分自身が大人にならなければ…٩( ᐛ )و<相手に求めるよりまず自分!

なのでわたしには、まだまだこの小説の本質が分かっていない…。いつか分かるよになりたいと思いながら本を閉じた記憶がある。

 

それから、マチネが映画化されることを知って去年再読した。

24歳の頃に読んだ時とはまた違ったマチネがあって再読の面白さを実感しつつ、熱く突き動かされる感情があった。

 そして変わらず洋子さんが魅力的すぎる…。洋子さんのような素敵な女性になりたい。 

 

『マチネの終わりに』を手に取ったのは、アメトークの読書芸人さんがおすすめしていたのがきっかけだった。紹介していた又吉さんの著書も大好き٩( ᐛ )و<帯を又吉さんが書かれているよ!

 

 2019年の11月には映画化もされている。

キャストが福山雅治さんと石田ゆり子さんだと知ったとき、すごく安心したのを覚えている٩( ᐛ )و<役がピッタリなお二人でよかった〜っていうマチネが好きだからこその安心感

映画もとても感動した。今はサンドラも聞いているほど♩

かっこいいな〜福山。

最近お母さんの、福山のことが好きな気持ちが分かってきたw 

 

【著者について】

平野 啓一郎(ひらの・けいいちろう)
1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。

1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。

著書は小説、『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』等がある。

2014年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。

【恋愛ミステリー小説】『ユリゴコロ』沼田まほかる

ー年をとるというのは、たぶん、混乱を混乱のままに抱きかかえて生きられるようになることではないだろうか。人間の心そのものが、永遠に解き明かせないひとつの混乱だと、知ることではないだろうか。ー 

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【内容紹介】

ある一家で見つかったユリゴコロ」と題された4冊のノート。

それは殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白文だった。

この一家の過去にいったい何があったのか-。絶望的な暗闇の世界から一転、深い愛へと辿り着くラストまで、ページを繰る手が止まらない衝撃の恋愛ミステリー!

各誌ミステリーランキングの上位に輝き、第14回大藪春彦賞を受賞した超話題作!

 

 

 

この小説を手に取ったきっかけが、自分と同じ苗字だったから٩( ᐛ )و<苗字公開w

 そんなふ、とした理由からこの小説を読み始めたんだけど、恋愛ミステリー小説とも言えるけどそれだけでは言い表せないくらいミステリーの枠を超越してホラーも感じられた…。読後はなんとも言えない感情になる内容٩( ᐛ )و<伝わったかな…w

私のようなビビリの方は寝る前に読むと眠れなくなると思う。けれど最後は一転してホッとする内容というか。いや、だけどやっぱりゾクゾクする。複雑な余韻が残る作品。

 

生々しい人間の物語を生み出すまほかるさんの頭の中を覗いてみたい…

٩( ᐛ )و<『彼女がその名を知らない鳥たち』の小説も大好き!  

 

映画化もされている٩( ᐛ )و<見たけどやっぱり私は小説派かな ☆

 

【著者紹介】 

沼田まほかる(ぬまたまほかる)

1948年大阪府生まれ。

主婦、僧侶、社会経営を経て、2004年、50代の時に初めて書いた長編『九月が永遠に続けば』で第5回ホラーサスペンス大賞を受賞。

2010年『痺れる』が本の雑誌」上半期ベスト第2位、『猫鳴り』が「おすすめ文庫王国2010−2011」エンターテインメント部門第1位に選ばれる。

2012年、『ユリゴコロ』で第14回大藪春彦賞受賞。

 

【小説】少年時代をテーマにした本 『夏の騎士』百田尚樹

ーあの夏、僕は「勇気」を手に入れた。ー

 

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【内容】

人生で最も大切なもの。それは、勇気だ。ぼくが今もどうにか人生の荒波を渡っていけるのは、31年前の出来事のおかげかもしれないー。昭和最後の夏、ぼくは仲の良い友人2人と騎士団を結成する。待ち受けていたのは、謎をめぐる冒険、友情、そして小さな恋。新たなる感動を呼び起こす百田版「スタンド・バイ・ミー」、遂に刊行。

 

 約3年ぶりの百田尚樹さん渾身の長編小説。

  

 

 『夏の騎士』読了後は、12歳の主人公たちの勇気ある行動に胸が熱くなったのと同時に、自分の過去がフラッシュバックして懐かしい気持ちでいっぱいになる٩( ᐛ )و<しみじみ〜

小学時代、友達と学校の帰り道に知らない道を通って冒険したことや、好きな男の子と一緒に遊んだ時に感じたなんとも言えない高揚感、あの頃の夏の、風とともにただよってくる草木の匂いの記憶をも思い起こさせてくれて、微笑ましい気持ちになった。

自分の少年期がよみがえる、大人にこそ読んでいただきたい一冊。

 

 

【著者紹介】

百田尚樹(ひゃくた なおき)

1956年、大阪市生まれ。同志社大学中退。

放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などのテレビ番組で活躍後、2006年に『永遠の0』で作家デビュー。

2013年に『海賊とよばれた男』で第10回本屋大賞を受賞。

 

【自己啓発本】『嫌われる勇気』自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

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 ”他者の期待を満たすために生きてはいけない”

 

そう説くのは、フロイトユングと学び「心理学の三代巨頭」と称される、ルフレッド・アドラー

 「青年と哲人の対話篇」という物語形式を用いてまとめた一冊。

 

どうすれば人は幸せに生きることができるのか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な”答え”を提示してくれている自己啓発本

  

【目次】 

第一夜 トラウマを否定せよ

第二夜 すべての悩みは対人関係

第三夜 他者の課題を切り捨てる

第四夜 世界の中心はどこにあるか

第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる

 

 

ここから下は、自分が心に留まった言葉の一覧。

まだ読んでいない方は

〈ネタバレ注意٩( ᐛ )و〉

 

 

 

 

なぜ「人は変われる」なのか

アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるのです。 これを「目的論」と呼びます。

 

人は怒りを捏造する

 昨日の午後、喫茶店で本を読んでいたとき、通りかかったウェイターがわたしの上着にコーヒーをこぼしてしまいました。買ったばかりの、いわゆる一張羅です。カッとなったわたしは、思わず大声で怒鳴りつけました。あなたは怒りの感情に突き動かされて、怒鳴ってしまった。普段は温厚な正確なのに、怒りの感情に抗することができなかった。自分にはどうすることもできない不可抗力だった。

哲人はこう説いています。あなたは「怒りに駆られて、大声を出した」のではない。ひとえに「大声を出すために怒った」のです。

 つまり、大声を出すという目的をかなえるために、怒りの感情をつくりあげたのです。大声を出すことによって、自分のいうことをきかせたかった。その手段として、怒りという感情を捏造したのです。

 要するに、怒りとは出し入れ可能な「道具」なのです。

 

なぜ自分のことが嫌いなのか

 短所ばかりが目にいってしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と決心しているからです。

 なぜあなたは自分が嫌いなのか?なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのか?それはあなたが他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に恐れているからです。

 つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。

 

人生は他者との競争ではない 

 同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、

その後ろを進んでいる人もいる。進んできた距離や歩くスピードはそれぞれ違うけれども、みんな等しく平らな場所を歩んでいる。

 誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。

 健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものなのです。性別、年齢、知識、外見、まったく同じ人間など、どこにもいません。他者との間に違いがあることは積極的に認めましょう。しかし、われわれは「同じではないけれど対等」なのです。   

 いまの自分より前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。 

 

非を認めることは「負け」じゃない

いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。

 人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに争いに足を踏み入れているのです。

 わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。これは完全なる権力争いでしょう。

 そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結すべき話です。誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。われわれは競争や勝ち負けの眼鏡を外してこそ、自分を正し、自分を変えていくことができるのです。

 

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

 他者から承認されることは、嬉しいものでしょう。しかし、承認されることが絶対に必要なのかというと、それは違います。どうして承認を求めるのでしょう?なぜ他者からほめられたいと思うのでしょう?

 われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。

 他者の期待など、満たす必要はないのです。

 「自分が自分のために生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか」ユダヤ人の教え)あなたは、あなただけの人生を生きています。誰のために生きているのかと言えば、無論あなたのためです。他者からの承認を認め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。他者もまたあなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手は自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。

 

ほんとうの自由とはなにか

他者から嫌われたくないと思うこと。これは人間にとって、きわめて自然な欲望であり、衝動です。アドラー心理学では、全ての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。

 すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。

 他者からの評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。

嫌われる可能性を恐れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由なのです。

 幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。その勇気を持ち得たとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。 

 

叱ってはいけない、ほめてもいけない

 子育ての場面において、あるいは部下の育成などの場面でも、一般にはふたつのアプローチがあるとされています。叱って育てる方法と、ほめて育てる方法です。

 ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。

 夕飯の準備を手伝ってくれた子どもに対して「お手伝い、えらいわね」とほめる母親がいる。しかし、夫が同じことをした場合には、すがに「お手伝い、えらいわね」とはいわないでしょう。つまり、「えらいわね」とか「よくできたわね」、「すごいじゃない」とほめる母親は、無意識のうちに上下関係をつくり、子どものことを自分よりも低く見ているのです。人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力のある相手を操作すること」なのです。そこには感謝も尊敬も存在しません。

 われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。

 アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。 

 そもそも劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識です。あらゆる人に対して「同じではないけれど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。

 

自分には価値があると思えるために

 仕事を手伝ってくれたパートナーに「ありがとう」感謝の気持ちを伝える。あるいは「うれしい」と素直な喜びを伝える。「助かったよ」とお礼の言葉を伝える。これが横の関係に基づく勇気づけのアプローチです。

 いちばん大切なのは、他者を「評価」しないということです。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。

 どうすれば人は、”勇気”を持つことができるのか?ドラーの見解はこうです。

 「人は、自分には価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる」

 どうすれば、自分には価値があると思えるようになるのか?人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えた時にこそ、自らの価値を実感できる。

 共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。他者から「よい」と評価されるのではなく、らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

 

人は「わたし」を使い分けられない

 まずは他者との間に、ひとつでもいいから横の関係を築いていくこと。

 もしもあなたが誰かひとりでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」で捉えているのです。逆にいえば、もしも誰かひとりでも横の関係を築くことができたなら、ほんとうの意味で対等な関係を築くことができたなら、それはライフスタイルの大転換です。そこを突破口にして、あらゆる対人関係が「横」になっていくでしょう。

 年長者を敬うことは大切でしょう。会社組織であれば、職責の違いは当然あります。意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切なのです。

 

若者は大人よりも前を歩いている

 ある家庭で夕食が終わった後、食卓の上に食器が残されている。子どもたちは自分の部屋に戻り、夫はソファに座ってテレビを見ている。妻(わたし)が後片づけをするほかない。普通に考えれば、「なぜ手伝ってくれないのか?」「なぜわたしだけ働かないといけないのか?」という状況です。

 しかしこのとき、たとえ家族からありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片付けながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。他者がわたしに何をしてくれるかではなく、わたしが他者に何をできるかを考え、実践していきたいのです。その貢献感さえ持てれば、目の前の現実はまったく違った色彩を帯びてくるでしょう。

 

ワーカホリックは人生の嘘

 世の中は善人ばかりではありません。対人関係のなかで不愉快な思いにさらされることは、多々あるでしょう。しかし、このとき間違っていけないのは、いずれの場合も攻撃してくる「その人」に問題があるだけであって、決して「みんな」が悪いわけではないという事実です。

 精神症的なライフスタイルを持った人は、なにかと「みんな」「いつも」「すべて」といった言葉を使います。「みんな自分を嫌っている」とか「いつも自分だけが損をする」とか「すべて間違っている」というように。

アドラー心理学では、こうした生き方のことを「人生の調和」を欠いた生き方だ、と考えます。物事の一部分だけを見て、全体を判断する生き方です。

 ワーカホリックの人たちは、明らかに人生の調和を欠いています。おそらく彼らは「仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がない」と弁明するでしょう。しかし、これは人生の嘘です。仕事を口実に、他の責任を回避しようとしているにすぎません。

 

普通であることの勇気 

 アドラー心理学が大切にしているのが、「普通であることの勇気」という言葉です。なぜ「特別」になる必要があるのか?それは「普通の自分」が受け入れられないからでしょう。普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。風つであることは、無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。

 

「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ

 人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。いや、見えるような気がしてしまう。しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。

 われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが「いま、ここ」を真剣にいきておらず、うすらぼんやりとした光のなかにいきている証しです。人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。

 過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

 「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。

 

人生最大の嘘

 人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。

過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりと光を当てて、何か見えたつもりになることです。過去も未来も存在しないのですから、いまの話をしましょう。

 決めるのは、昨日でも明日でもありません。「いま、ここ」です。

 

無意味な人生に「意味」を与えよ

 人生の意味とはなにか?人はなんのために生きるのか?アドラーの答えは「一般的な人生の意味はない」というものでした。

 たとえば戦禍や天災のように、われわれの住む世界には、理不尽な出来事が隣り合わせで存在しています。戦禍に巻き込まれて命を落とした子どもたちを前に、「人生の意味」など語れるはずもありません。つまり、人生には一般論として語れるような意味は存在しないのです。われわれは困難に見舞われたときにこそ前を見て、「これからなにができるのか?」を考えるべきなのです。

 そこでアドラー「一般的な人生の意味はない」と語ったあと、「人生の意味は、あたが自分自身で与えるものだ」と続けています。

 

【著者紹介】

岸見一郎(きしみ いちろう)

哲学者。1956年京都生まれ。京都在住。高校生の頃から哲学を志し、大学進学後は先生の自宅にたびたび押しかけては議論をふっかける。

京都大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。

精神力にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの”青年”のカウンセリングを行う。

日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ精神症になるのか』、著書に『アドラー心理学入門』など多数。本書では原案を担当。

 

古賀史健(こが ふみたけ)

フリーランスライター。1973年生まれ。

書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、ビジネス書やノンフィクションで数多くのベストセラーを手がける。

臨場感とリズム感あふれるインタビュー原稿にも定評があり、インタビュー集『16歳の教科書』シリーズは累計70万部を突破。

20代の終わりにアドラー心理学と出会い、常識を覆すその思想に衝撃を受ける。その後何年にもわたり京都の岸見一郎氏を訪ね、アドラー心理学への本質について聞き出し、本書ではギリシア哲学の古典的手法である「対話篇」へと落とし込んだ。

単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』。